今までつかんだ情報
1、航海者学校
初心者のために特設の塾、中に親切な各ギルトマスターが基本から高級な知識を教授し、アパートは学生寮として無料で貸し出しするそうだ。
為了新手特別設立的補習班,在裡面有親切的各公會負責人來教授從基礎到高階的知識,而房間會當作學生宿舍來處理=免費出租。
2.沈没船サルベージ
地図の断片を集めれば沈没船が引き揚げられるそうだ。
打撈沉船
蒐集地圖斷片了話聽説可以打撈沉船。
3,バトルキャンペーン(十人同士の艦船対決)
戦闘エリアがふつうより大きくなり、勝利条件はポイント制だそうだ。
戰鬥活動
戰鬥區域比普通海戰還大,勝利條件聽説是採點數制。
4,プライベートファーム(自分の島)
新しいイベントに発見し、偉い人に島権利書を貰い、色んな生産物と専用レシピがあるそうだ。
私人農園(自己的島嶼)
在新的劇情中發現無人島並從偉人處拿到權利書,聽説在那裡有一堆生産物跟專用配方。
5,西回り航路が実装する(イースター島が実装?)
マゼラン航路のことかな
實裝向西航行的航道(實裝復活節島?)
大概是指麥哲倫航線
6,リアクション向上する(説明しにくい)
提昇操作性(不好説明)
7,3チャプター制(チャプター1はCircumnavigation)
新しいスキル?新しいアイテム?が実装する
三章制(第一章是環遊世界)
有實裝新技能?新道具?
8,アップデート価格は2940円。新規で4515円。
実装前にキャンペーン実施するとのこと
要跟舊玩家收2940隻羊(約台票900),跟新玩家收4515隻羊(約台票1300)&會有新的促銷活動
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- 2007/07/15(日) 17:19:28|
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ソース:http://www.emaga.com/info/3407.html
以下は李登輝前総統の講演「後藤新平とわたし」の要旨である。
「後藤新平の生誕百五十年を記念して全集が藤原書店から刊行され、「後藤新平賞」が新設されたことは画期的で、新しい時代の指導者育成を目的とする栄誉に初回に輝けたことを光栄に思う。
後藤新平は1857年生まれで、1929年に没した。私は1923年生まれ、交差していないが、精神の空間で結ばれている。
後藤新平は1898年3月から1906年9月まで、8年7ヶ月を台湾民政長官として過ごし、未開だった台湾の近代化のために成し遂げた功績は大きい。その生い立ち、功績、人間としての偉大さを私は深く心に刻み込んできた。
後藤は貧窮のどん底から立ち上がり、医者から衛生局長となり、1895年児玉源太郎の推挙によって台湾へ赴任した。
かれの復員傷兵の帰国に際しての検疫能力を高くかったから、とされる。
当時の台湾は匪賊が跋扈し、ペスト、赤痢、チフス、毒蛇が蔓延して、不衛生極まりなく、漢族と原住民部族の対立があり、産業は未開のまま、およそ近代化には遠い状況だった。
後藤は台湾近代化、台湾の開発に何が目的であり、その目的達成のためには何が大切かを考えて、明治政府の全面的な支援の元に諸改革を実行に移した。
第一は人材の確保であった。1800人の無能の役人を馘首し、新しい人材を適所に配置した。この中には新渡戸稲造も含まれていた。
第二に匪賊対策を従来の路線から変更し、単に匪賊を退治するのではなく労働の現場へ配置しなおして、かれらを生産、建設に役立てて任務を教えた。
第三に「保甲制度」、つまり地方自治の確立である。
住民の自治を尊び、交通を整備し、戸籍制度の充実と整備をなした。同時に自治の責任を持たせた。
第四に劣悪な衛生環境を改善し、マラリアなどの退治のために血清の研究と同時に田舎にも医者を配置して政府派遣として医療行政を実地した。
都市部では下水道の整備を急いだ。
第五が教育の普及である。
(ほかの列強は現地植民地を搾取するばかりで教育をおざなりにしたが)日本は台湾の植民地経営を教育から開始したのだ。
第六に開発近代化の財源を確保するために地方債券を発行し、内地(日本)の国会の承認を得た。
これにより土地改革がすすみ、鉄道が敷設され、基隆港が整備された。
第七は「三大専売法」を施行させたことだ。
阿片,樟脳、食塩、酒、煙草が専売となり税金収入が公債の返済に充てられた。
第八に「台湾銀行」が創設されて台湾銀行券が流通、また「度量法」が統一され、それまで台南と台北で異なった重さや長さの図り方が統一された。
第九は産業の奨励で、砂糖、樟脳、茶、こめ、阿里山森林の開発が進められて開発が軌道に乗る。
第十は貿易の拡大であり、そのために外国資本が独占していた商船の運搬を民間にも広げた。
第十一に後藤の「南進政策」がある。
当時、アモイ、香港への投資も開始され、アモイには台湾銀行支店が設置を見た。
第十二に国民の生活習慣のなかで弁髪、纏足など悪習を禁止した。
後藤はその後、満鉄総裁として満州に赴くが、もし、台湾に留まっていれば、台湾の行政はさらに異なったレールを走ったことと思われる。
▼なぜ、日本人はああまで情熱的だったのか?
生誕百五十年を待たずに後藤新平の研究がおおいに進み、許文龍氏をして、
「台湾への政策は素晴らしかったけれども、なぜ、日本人はあれほどの情熱を燃やして台湾の近代化に努力したのか」と問いかけている。
とくに拓殖大学で、この研究が進められた。
池田憲彦前拓殖大学教授は「まず明治天皇の御叡慮があり、新しい版図への使命観があった。みずみずしい感受性と、ひるまない精神、つまり『肯定的思考』が多くの勇断を運んだと指摘している。
いま84歳になる私は、台湾人として生まれた悲哀と、同時に22歳まで日本人だった私が、日本の教育を受け、『肯定的人生』という人生観を体得して、農業の改革に着手し、その後、台北市長、台湾省省長を経て、副総統、そして十二年間にわたって総統として、一滴の血も流さないで台湾に民主化という・#38745;かなる革命・#12434;もたらすことが出来たことを一生の誇りとする。
これらは後藤新平の台湾施政への哲学的基礎の上になりたっており、今日の台湾の民主と繁栄が築かれてきたのだ。
その精神的な繋がりの空間で、世代と時間をこえての共通の価値があり、だから私は後藤新平を敬愛してきたのである」。
感動的な講演にしばし拍手が鳴りやまなかった。
- 2007/06/01(金) 23:05:32|
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八田技師に褒章 没後65年、功績は永遠
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台湾政府は25日までに、日本統治時代、台湾南部に烏山頭ダムと水路網を建設し、
不毛の大地を穀倉地帯に変えた金沢出身の八田與一技師に対し、褒章を贈った。
台湾総統府などによると、
「厳しい時代に、新しく試みた水利建設で遅れた島に大きな業績を残し、
こころざしの実現をはかるため仕事に専念、その栄誉は全台湾に及んだ」ことなどが
授章理由となった。
台湾の陳水扁総統は今月9日、台北市の台湾総統府で
「八田技師夫妻を慕い台湾と友好の会」(金沢市)と会見した際、
「八田技師が健在なら、政府と人民を代表して叙勲したい」と述べた。
その際、友好の会側から「日本には亡くなった人に贈る追贈という考え方がある」と提案され、
陳総統は「慎重に検討したい」と答えていた。
褒章の授章理由では
「農耕地の生産能力を大幅に拡大させるなど、嘉南平原の豊かで新しい一頁を開いた」
「その大きな遺徳は模範となり、歴史書により伝えられてきた」などと八田技師の功績をたたえている。
八田技師の長男で昨年5月に亡くなった八田晃夫さんの夫人・八田綾子さん(74)=愛知県春日井市=は
「八田技師が亡くなって65年たった今も、台湾の人々が感謝の念を寄せてくれることを
とてもありがたく思う。謹んでお受けしたい」と語った。
友好の会の中川外司事務局長は「烏山頭ダム付近の出身で、
八田技師に思い入れの深い陳総統から頂けたことに、大きな意味がある」と話した。
(05/25 15:35)
ソース:北國新聞
http://www.hokkoku.co.jp/_today/E20070525001.htm
嘉南平原の水利の父、故八田與一氏に陳総統より褒揚令(褒章)が追贈
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陳水扁・総統は、5月21日、嘉南平原の水利の父と呼ばれた日本人技師の八田與一氏に対し、
褒章令を出した。以下はその全文である。
嘉南平原の水利の父である日本人技師、八田與一氏はこころざしに燃え、人徳に富み、
才気に満ちた人物であった。
東京大学の土木科を卒業し、はるばる海を渡って台湾総督府土木部に迎えられ、
力をつくしてさまざまな功績を残された。とりわけ嘉南大☆と烏山頭ダムの建設を計画、
先進国家のダム工法を視察し、技術設備の不足を克服して新機軸を打ち出し、
資金的困難と憂慮を乗りこえてついにアジア最大のダムを完成させた。
また、灌漑、洪水防止システムを計画、大計画による三年輪作の給水を推し進め、
農耕地の生産能力を大幅に拡大させるなど、嘉南平原の豊かで新しい一頁を開いた。
大甲渓の電源開発計画にも協力され、土地改良の基本方案を研究、計画し、
遠大なその計画は人々に恩恵をもたらした。
厳しい時代に、新しく試みた水利建設で遅れた島に大きな業績を残し、
こころざしの実現をはかるため仕事に専念、その栄誉は全台湾に及んだ。
その大きな遺徳は模範となり、歴史書により伝えられてきた。
八田氏が世を去られ年月は過ぎたが、心よりの哀悼の意を示し、特に褒章し、
政府により英明なる八田氏を懐かしむ意を表わすものである。
【総統府 2007年5月21日】
(☆:「つちへん」に「川」)
ソース:台湾週報
http://www.roc-taiwan.or.jp/news/week/07/070523b.htm
[嘉南平原の水利の父、故八田與一氏に陳総統より褒揚令(褒章)が追贈]の続きを読む
- 2007/05/26(土) 11:33:40|
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中国個人投資が過熱 証券口座数1億目前
「株は分からないけど…」
中国で株投資ブームが沸騰している。昨年末以降、証券会社の窓口に口座を開設する
個人投資家らが殺到、中国国内の証券口座数は今月中にも1億口座を突破する勢いだ。
日本企業を上回る巨額の時価総額を持つ企業も出てきた。株価は2006年春からほぼ
一貫して右肩上がりの上昇が続いており、バブル懸念から中国人民銀行は18日、人民元
の対ドル為替レートの変動幅拡大と同時に政策金利の引き上げを発表した。
「立ち上がれ、まだ口座を開いていない人々よ!」――。中国で今、国歌の替え歌「股歌」
(「株の歌」の意味)が携帯電話のメールなどを通じて流行している。歌詞は「君たちの
資金を全(すべ)て市場に投じよう」「万民は一致団結して、成り金を夢見て前進せよ」
など、株価高騰を願い、株式市場に殺到する投資家の姿を風刺した内容だ。
こんな替え歌がはやるほど、中国の株ブームはすさまじい。上海市場全体の値動きを示す
上海総合指数は、05年末の1161・65から今月10日には4051・17まで上昇、
1年4か月余りで3・4倍になった。18日の終値は4030・26だった。
活況を支えているのは、新たに株投資を始めた人たちだ。中国証券登記決算公司によると、
中国の証券口座数は2002年に7000万台に乗った後は伸び悩んでいたが、今年に入って
からは勢いが加速した。5月は1日平均50万口座ずつ増え、5月16日には計9744万
口座に達した。
北京市の中信建投証券北京三里河路支店では、1月から毎日100人を超える市民が口座
開設に訪れ、手続きに数時間かかることも珍しくない。大半は「株のことは分からないけれど、
株価が上がり続けているからとりあえず」(40代女性)といった市民だ。「銀行に預けていても
意味がないからね」(38歳男性自営業者)という声も聞かれた。
中国の銀行の法定預金金利は現在、期間1年もので年2・79%。4月の消費者物価上昇率
(3・0%)を下回る実質マイナス金利になっている。中国人民銀行(中央銀行)によると、
今年4月の人民元建ての個人預金残高は前月比1674億元(約2兆6300億円)の大幅減と
なる一方で、貸出残高は1236億元(約1兆9400億円)も増えた。銀行から出た巨額な
資金の大半は株式市場に流れ込んだとみられている。
あまりの過熱ぶりに、証券会社からも「健全な状態ではない」(地元証券会社アナリスト)と
警戒の声があがっている。金融当局も今月14日、投資家へのリスク教育を強化するよう証券
会社に求めた。
だが、投資家の間では「これまで大きく値下がりしてもすぐ回復した。新しく投資を始める
我々にとって暴落はむしろチャンス」「将来は危険があるかもしれないが、北京五輪までは
大丈夫」といった受け止め方も多い。
中国社会科学院金融研究所の尹中立博士は「株価が上がり続けることで新しい資金が市場に
流入し続け、株価の上昇スピードを加速させている。このままでは巨大な株バブルが発生し、
崩壊するまでゲームは終わらない」と警告している。
(中国総局 寺村暁人)
2007年5月21日 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/mnews/20070521mh12.htm
[とうとう中国株バブルもピークになった]の続きを読む
- 2007/05/22(火) 00:37:33|
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日本人と台湾人が共有する心情
JOG Wing ■ 国際派日本人の情報ファイル■より転載
伊勢雅臣
■転送歓迎■ No.1286 ■ H19.05.14 ■ 8,927 部 ■■■■■■■
台湾に旅行したことのある日本人は、親近感を感じる事が多
い。現地の人と接していると、とても外国とは思えないほどで
ある。思いやりや親切など、どこか深いところで両国民が共有
している心情があるからだろう。最近の新聞記事を読んで、改
めてこの事を考えさせられた。
[日本人と台湾人が共有する心情]の続きを読む
- 2007/05/17(木) 09:36:16|
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